[開設 07/03/23=MM/DD/YY]

空集合の発見から零の発見をおもう



古代の人々は,算木や算盤上の数を そのまま写し取ることによって,位取り記数法を獲得した. この記数法には,ある位に数が立っていないことを表すための記号 0(ゼロ)の使用が必要であった. 数が立っていないことは,無いのだから何も書かないで表せれば それに越したことはないが,何も書かないと どんな数が書いてあるか わからなくなるので(例えば 201 と 21 の区別がつかなくなる),便宜的に適当な記号を用いたのである.当時,何もないことは数としては認識されず,0(ゼロ)は便宜的な記号に過ぎなかった.0(ゼロ)が数として認識・発見されたのは,記号としての使用が始まってから長い年月が経った後だったそうである.それまでの間,0(ゼロ)は便宜的なウソッコの数だったのである.0(ゼロ)を使いながら数として認識できていなかった昔の人々の感覚は,幼い頃から数としての 0(ゼロ)を知っていた私たちには なかなか想像し難い.

一方,空集合は便宜的な記号ではなく,最初から集合として導入された.しかし,これまでの私の経験からすると,諸君らの中には,空集合を何もないことを表す便宜的なものだと考えていた者も少なからずいると思われる. つまり,何もないものは,何も書かないで表せれば それに越したことはないが,何も書かないと何だか わからなくなるので,便宜的に ∅ で表すのだ,と思っていた者も多いはずだ. 簡単に言うと,空集合とは,「集合」と名前はついてはいるが,便宜的なウソッコの集合という訳である.

だから,私は先のページで それは間違いであって,空集合自身は集合として存在する ということを述べたのだが,今まで空集合はウソッコの集合と思っていて先のページで初めて空集合をホンモノの集合として認識・発見した諸君も,自分の勘違いを嘆く必要はない.第一に それは 古代人が 0(ゼロ)が数であることを発見するのに長い年月 掛かったのと同じように認知的なハードルが高いものなのだから.第二に 認知的なハードルが高いことに気付かない 高校や大学学部での教科書や参考書の執筆者や教師の教え方に問題があるのだから.そして第三に それは数学史上 貴重な経験と言っても良いからである.なぜなら,0(ゼロ)を便宜的な記号として使っていながら数として認識・発見していなかった昔の人々と同じような感覚を味わえたのだから.



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